2009年12月04日

預かるということ、譲渡希望するということ

なんやかんやと5匹の預かりをして、
そして、初めて、執事家からご家族募集をかけていて、
思ったことをぼそっと。
あくまで、執事がこう思うってことですので、ご了承を。



執事が預かりをさせてもらっているCAC市川は、ご支援を募っています。
勿論、ご多分にもれず、代表の持ち出しもかなりの高額ですが、
ご支援に常に支えられての活動なのは間違いありません。

また、執事を含めた預かりは、医療費以外の費用は自己負担での預かりです。


様々な事情で保護されたわんこ達は
こうやって多くの方の支援に支えられて、
その命を繋ぎ、
縁あって、新しい家族のもとに旅立ちます。


たかがわんこですが、
その命は多くの善意と想いが寄せられた結果、
生き長らえた、繋がった命です。

本来なら、理不尽にも人の都合によって絶たれるハズだった命が、
チャンスを掴めたからこそ、今、ここに生きているんです。



ですから、"可哀想なわんこを貰ってあげた"という、
貰ってオシマイな感覚なご縁は
執事的にはむむぅーです。


ならば、
ご自分で保護されるか、
(コミュニティ紙などでも犬あげます!ってやつもあるんだし)
愛護センターの譲渡会で直接譲渡を受けて戴きたい。




団体や個人が、わざわざ愛護センターから引き出すという活動をし、
医療措置をし、預かりのもとで家庭生活に慣らしという、
その過程をわざわざ踏んでいるのは何故か?

そこを考えて戴きたい。

もちろん、ほとんどの愛護センターは成犬は譲渡会には出さずに、
もしも団体や個人が引き出す活動をせねば、
処分されてしまうのからというのが大きな理由ですが、
そもそも、では何故、愛護センターでは成犬を一般に譲渡しないのか?を
考えて戴きたい。

譲渡を避けたいリスクが存在するゆえ、譲渡しない訳で。
そのリスクを含め、引き出している訳で。



人との生活に慣れてもらうこと、
そのコをしっかり把握すること、
保護生活を一定期間過ごすことで、
新しい家族との生活がスムーズに
運んでほしいからこその過程なのです。

そして、保護という活動をし、里子に出すことを通して、
どうしてこのような状況が存在しているのかということを
理解して下さる方を増やして行き、
その結果、このような状況が改善されてゆくことを目指しているのです。
(執事はそう理解しています。)


可哀想なわんこを趣味で拾って、預かって、あげる(あるいは貰ってもらう)
という
慈善事業ではないんです。(執事はそう思っています。)


飼い主いないわんこ斡旋業でもない。
女衒ならぬ、"犬衒"したい訳じゃないんです。(執事はそう思っています。)








わんこを飼うというのは趣味だけれど、わざわざ保護犬に関わるってことは
なぜ保護犬がいるのか?ってことに想いを馳せ、
この状況をなんとか少しずつでも変えてゆきたいっていう想いあっての
いてもたってもいられない、やむにやまれぬ行動なんです。(執事はそうです。)



ですから、少なくとも執事は
「飼い主のいない可哀想なぴくを貰って下さいっ!!」なんて、言いません。

ぴくと暮らしたいと望んで下さって、
そして、ぴくがどうして今、ここで生きているのかってことを
考えて下さり、
ぴく以外にもいっぱいいっぱい救えない命があったことを、あることを
思って戴ける方に
ぴくの命のバトンをお渡し出来たらいいなと思っています。


少なくとも、ぴくは今、執事と言う預かり(保護者)がいますから、
みなしごではないですしね(笑)






執事は
預かりする際に、いつも、このコは預かりモノ、
みなさんの善意に支えられてる命ってことを執事なりに肝に銘じているつもりです。

そのコの命のバトンを繋ぐ中間走者の役目を果たしたいと。


るるやアルトのように、執事家での看取りが確定した際には
もぅ、このコは永久執事犬!!と、初めて、自分のしたいように
したいだけしちゃいますケド。
そうなって初めて、執事が「趣味として飼う」んです。
預かりではなくね。
命のバトンの最終走者になるんです、そこで初めて。



で、永久執事犬ゆえ、
そのお骨もがめて、執事と一緒に連れて来ます。
強制連行。

それが執事的、その生の最期を看取った最終走者としての
最後の最後の務めだと思っています。




少なくとも、執事は
もし預かったコが新しい家族のもとでなんらかの不測の事態で
行き場を亡くした際には、
自分がなんとかする!という気概は持っているつもりです。

もっと言うなら、何らかの形で自分が想いを寄せ、関わったわんこは
みんなそうです。
たとえ、自分が飼うという選択ができずとも、
行き場はなんとしても自分の裁量で、確保したいという気概は持っているつもりです。

ご卒業したから、オシマイではありません。

たとえ、何年経っても、なにかあれば、なんとかする!
その命がお空に旅立つその日まで。

自分が関わった命を再び路頭に迷わせ、みなしごにするってことだけは
執事はしたくない。


そう、思っています。




貰ってもらえたからオシマイでは
今のこの「可哀想な犬」が溢れている現状は
なにも変わらないと思うから。

相変わらず、供給は過剰な状態は変わらないと思うから。

「売れ残って可哀想」だからと、売買に参加することで、
次の供給に加担しちゃうっていう皮肉な状況すら
「可哀想」という感情だけであれば、起こり得るのだから。

「可哀想な犬」を「貰って」、そのコを繁殖させて、
また「貰って下さい」って状況も実在しているのだから。



「可哀想なコを貰ったのよぉ!」でオシマイなら、先には繋がらないのだから。






だから、これは執事の勝手な願望なのかもしれませんが、
新しい家族になって下さる方にも
そのコがどういう過程を経て、そこにたどり着いたのかということに
想いを馳せて戴きたいと思っています。



「可哀想なコをもらったのよぉ!」だけではなく。



そのコの命のバトンはどうやって繋がれてきたのか、
その命のリレーの最終走者として、
そのコと暮らして行ってほしいと思います。



「可哀想なコを貰って」「可哀想なコがこんなしあわせになった」としても
世の中には、まだまだ溢れんばかりの「可哀想なコ達」が山ほどいるんですから。


「可哀想」だけで済まされる話じゃないと執事は思っています。



命のバトンを受け取った人として、
命のリレーの「最終走者」として、
どうか、そのことの意味を、
考えて戴きたいと思います。


活動する人達がいて、それを支える多くの想いがあって、
はじめて、生きながらえた命なのですから。

それなしでは、今はいなかったハズの命なのですから。

そうやって、バトンを繋いだ命と暮らしながら、
バトンを繋げない・チャンスを掴めない命に
想いを馳せて戴きたいって思うんです。
それが、「可哀想なコ達」を減らす第一歩になるのですから。




恩を着せるつもりも、
プレッシャーをかけるつもりも
これっぽちもありませんが、


そういう形で命を繋いだわんこ達がいるってことを、
保護犬以外を飼っている方含め、全てのわんこオーナーさん達が
心にとめて、わんこと暮らして下さったらいいなって思っています。


そのことがいつか、
たとえ、執事が生きている間には無理だったとしても、
いつの日か、
「可哀想なコ」がいなくなる日に繋がって欲しい・・・と願います。


いつか、いつか・・・・。

そう思っています。

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にほんブログ村 犬ブログ 犬 里親募集へぴくは2日続けて、体力の限界まで、わんこ仲間と遊び倒して
執事家に来て初めて、“コトギレテ”爆睡しとります顔(イヒヒ)
やっぱり、“犬同士で学ぶこと”って大きいと実感した執事です。